2007年11月20日

ひこにゃん騒動

「国宝・彦根城築城400年祭」のキャラクター「ひこにゃん」をめぐって、市・実行委員会と、デザインしたイラストレーターがもめているというニュースがありました。
キャラクターは公募によって選ばれたもので、その募集要項によって著作権がデザイナーから市に移転していたもののようです。

ところが、デザイナーからは「祭りのPR目的を超えて営利目的で利用され、募集要項に反する」「適正なキャラクター管理を行わなければ、粗悪品が販売される」との理由で業者への使用承認の取消しを求めているとニュースで出ていました。
公募の目的が著作権移転の条件に絡んでいたのかどうか私にはわかりません。

気になったのは 
<実行委がひこにゃんの性格を「お肉が好物で、特技は、ひこにゃんじゃんけん」などと設定した点も「作者が意図しない性格付けを黙認してキャラクター管理を放置している」(11月9日YAHOOJAPANニュースより>
の部分です。
著作権が市側に移転したとしても、著作者人格権は移転しません。なぜなら人格権は処分できない権利であるという解釈が一般的だからです。
著作者人格権の一種として同一性保持権という権利があります。
著作者の意図に反して著作物を改変させないという趣旨の権利です。
こういった場合に、契約において「著作者人格権を行使しない」などの特約をあらかじめ入れておくことがおおいと思いますが、そういった文言が有効なのかどうか少々疑問に思いますし、このトラブルのケースでどのようになっていたものか情報がまだありません。

同一性保持権のポイントは「意図に反するかどうか」という点である場合が多いですから、契約の際に、ありとあらゆる改変の可能性を指摘して納得ずくで契約しておけば、こういったトラブルは避けられたかもしれないと思うのですが、実はそうではなくて単にデザイナーさんの得意な性格によるものかどうか、よくわかりません。
ただ、こういった場面をみていて思うのは、基本的に説明不足、というか将来についての想像が足りないというか、ツメが甘いというか、そういったことが根底にあるのではないかとうい印象あります。

契約について私が相談に乗る場合、かえってくる反応は「一般的な雛形をください」か、または「そんな面倒なこと考えてられません」かの、どちらかがほとんどです。
よく話し合って、その内容をきちんと記録しておくことが契約準備の基本なのですが、どうもそういうこと自体が否定されている傾向があって、いきなり弁護士を出してきたり、一般的な書式に執着したりで、現実に合わない対応に至ってしまう場面がよくあります。
著作権がらみのトラブルの多くは、じっくり話をすれば済んでしまうものが大半だと勝手に想像していますが、当事者の忍耐力、または柔軟な思考というものが不足するために専門家が登場してしまい、かえって余計なコストをかけ、解決が遠のいていることが多いものです。
「ひこちゃん騒動」のケースでそういった考え方があてはまるものかどうかは未知数ですけれど。
posted by 管理者 at 18:04| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月16日

著作権譲渡登録抹消請求事件(東京地裁)

平成19年10月26日言渡しの東京地裁判決です。
米国人ケネス・ハワードの著作権がケネス・ハワードの遺族から第三者に対し二重譲渡された件につき、被告が完了していた著作権譲渡登録を原告の名義として回復するか、または抹消することを求めた裁判でした。

著作権が契約によってAからBに譲渡され、さらにAからCにも譲渡されていたというケースを「二重譲渡」と言ったりします。 この場合、一般的に一番ずるいと言えるのは著作権を譲渡したAなので、著作権を譲り受けたつもりのBとCにとってはとても迷惑な話ですが、不動産売買ではこういうことは珍しいことではなかったようで不動産登記制度が重要な役割を果たしています。

家やマンションを買ったあと、何十万円もの登録免許税を払って登記をしている人の中で、不動産登記をする必要性を理解している人は少ないと思います。もしかすると登記することが義務なのだと思っている人が多いかもしれません。
所有権移転の登記に限っていえば別に義務ではありませんから、登記しないでほっておいても法律違反ではありませんが、万一、二重譲渡が発生して(つまり裏切られて)しまったときに備えて登記をしているわけです。

著作権も所有権と同じ財産権なので、著作権法で著作権譲渡の登録制度があり、対抗要件が付与されます。
あまり知られていないため、登録件数は登記に比べたらゼロパーセントに限りなく近い割り合いでしかありませんが、それにしても不動産並みの価値がある著作権でさえ譲渡登録をしておかないことは、とても危険なことだと思っていましたが、その重要性自体が社会で認識されていませんでした。

今回の判決で原告は被告が背信的悪意者、つまり原告が先に正当に著作権を譲り受けていたことを知りながら著作権を譲り受け譲渡の登録をしたのだと主張しましたが、すでに被告が対抗要件を備えている以上は背信的悪意の立証は原告の負担であり、よほどの確証を得ない限り裁判官は背信的悪意を認めることはできません。
実際のところ、この判決では原告の主張は退けられました。
著作権譲渡登録の重要性を見せ付ける裁判例だったと思います。

今後、著作権の登録制度が徐々に定着してくると思います。
それにつれて、著作権登録制度自体の問題点も浮き彫りにされてくることになるでしょう。
不動産登記のような緻密な登記規則があるわけではなく、登録審査は文化庁の本庁のごくわずかな人員で処理されていて、法務局に相当する情報管理もなされていません。
著作権登録状況データベースが文化庁のサイトにありますが、これも著作物の題号などごく限られた情報をみれるだけで、いわゆる登記情報に相当するものではなく、完全な登録情報の入手には大変な手間がかかります。
また法制度上の問題点も指摘できるでしょう。
不動産の表示登記のように権利の土台を確定する手段がありませんし、譲渡契約書を添付するにしても印鑑証明ななしに登録できてしまいますから、虚偽の登録は難しくありません。
もちろん、虚偽の登録は公正証書原本不実記載罪などの罪に問われます。 


有体物である不動産の売買でさえトラブルになるのですから、登録なしで著作権を譲渡するのは、やはり大きなリスクを背負うことになるのだと認識しておく必要があります。

posted by 管理者 at 14:36| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月14日

著作権表示の盲点?

意外と知られていない著作権表示の盲点

◎一般的な著作権表示について 
ホームページ上で著作権に関して検索されるキーワードの中で意外と多いのが「著作権表示の方法」です。私がこれまで行ってきた解説も含め世間一般でおおむねどのような説明がなされているかと言えば、 

@日本の法令では著作権表示の表示方法も、表記をするかしないかも自由である
ACマークなどの一般的な表記は万国著作権条約第3条の規定に由来しているが法的効果はほとんどない
B著作権表示には著作権の存在を訴える効果(心理的)など間接的な意味しかない。
  

といったところだと思います。法律上の義務があるわけでもなく、表示をしたから権利が発生するというわけでもないので、これについてあまり神経質にならなくてもいいですよ、というニュアンスの説明がなされることが多かったと思います。
 
実際のところ、著作権表示の方法にはいろいろあって、実態が意味不明の表示が多々見受けられますし、表記自体にかっこよさが求められ、ある種の流行のようになってしまっているような気もします。
しかし、この夏のチャプリン映画の著作権保護期間をめぐる判決にもあったように、著作権表示は世間で考えられている以上に重要なものであると考えられます。
 
まず、「著作権表示」という言葉がよく使用されていますが、厳密には「著作者」の表示として捉えるべき部分もあり、著作権者と著作者とでは法律上の立場が異なるので、本来どのような表現がふさわしいものか迷ってしまいました。ここでは著作者と著作権者の区別をしない表記の意味として暫定的に「著作物表示」という言葉を使わせていただきます。 
  


◎著作者表記には法律的な効果がある
 

著作権法では、著作物表示に関して沈黙しているわけではありません。 
 

著作権法(著作者の推定)
第十四条  
著作物の原作品に、又は著作物の公衆への提供若しくは提示の際に、その氏名若しくは名称(以下「実名」という。)又はその雅号、筆名、略称その他実名に代えて用いられるもの(以下「変名」という。)として周知のものが著作者名として通常の方法により表示されている者は、その著作物の著作者と推定する。
    

この条文によると、著作物が世間の目に触れる際に表示された者が著作者と推定される、ということです。表示をしないことも自由だけれど、もし名称の表示があれば、その人が著作者であると推定されます。推定とは、それをくつがえす証明がなされない限り事実とみなされる、ということです。
 
ここで、たとえば特許の場合と比較して説明しますと、特許の場合には特許登録を受けた者が特許権を取得できることになっていて、その要件の一つとして先願や先発明という要素があり、要するに<最初に発明をした人に特許権をあげます>という原理が根底にあります。
 
発明というのは複数の発明者が同じ発明を実現できる可能性があって、誰に特許を上げればよいのか悩むことがあるので、最初に発明した人を選んだり(先発明主義)、最初に出願した人を選んだり(先願主義)します。ところが著作権の世界では、ある著作物と同じ著作物を別の人が創作するという可能性が理論上はありません。なぜなら著作物というものは<創作的な表現>であって、他人の表現と偶然に似てしまうようなありふれた表現は著作物とはみなされませんから、「創作したタイミングの順位」というものを考える必要がないのです。
 
ですので、著作権法の世界では「誰が創作したか」という事実だけで誰が著作者なのかが決定されるわけで、その証拠として最も有力なものが「世間による認知」なのです。
 
著作物は通常世間に公表されるものですから、大勢の眼に触れて「ああ、あの人が作者なんだなあ」と大勢の人に認知されれば、それで著作者の地位は安泰になるということです。
 
もし著作者の名称が表記されなかったとしても、著作物には作者特有の個性が内蔵されているのですから、他人が著作者として名乗り出てきても作風や画風といったものがおのずと違いをあらわしてしまうでしょうから世間の眼が本物とニセ者を見分けてくれるでしょう。 
こういうことなので、ニセ者と真実の作者とが著作者の地位を互いに争うということは現実にはなく、むしろ「真似たかどうか」という点でケンカになることがよくあります。
 
ですので、著作者の地位を得るためには特許の場合のように<登録>という手続を必要としません。その代わり、著作者表示には著作者の地位に影響する重要な意味があるということになります。 
  


◎著作者表示で著作権の寿命が変わる
 

著作者の表記によって著作者が推定されることはわかりました。では、その著作者の種類によって著作権保護期間が変ってしまうとしたら、これは無視できる問題でしょうか。
 
今つくられているデザインキャラクターの商品寿命はわずか数年で切れてしまうものがほとんどであろうと思いますが、中には末永く著作権を保持したいと願うケースもあります。また、数年で使わなくなってしまうけれど、かといって50年後に他人に勝手に利用されたくないという場合もあるでしょう。
 
著作権法の保護期間のことはすでに別の機会で触れてきましたのでなるべく省略しますが、著作者が個人であれば保護期間は死後50年まで、著作者が法人であったり無名または変名の場合は公表後50年まで、という違い
が生じます。                                     
たとえば私が今年制作された、あるキャラクターの著作者として著作物を公表する際に「ヒノコウジロウ作」とした場合と、「制作 ヒノッチ」とした場合では、その著作物の著作権保護期間は異なるという事です。 
もし私が50年後に死亡したとするなら、著作者表記が実名の場合は著作権の寿命は100年間となりますが、「ヒノッチ」という表記は著作権法では「変名」にあたりますから、50年間しか保護されないことになります。
 「ヒノッチ」という作者名からは、私が本当の作者であることを特定できないので死後起算ができませんから、これもやむをえないのです。 
しかしながら著作権法の原則は、やはり「死後起算」なのですから、たとえ著作者表示が変名や無名であったとしても、本当の作者が何らかの事情で世間にとって認知されているのではあれば、やはり「死後起算」が適用される余地があってもよいでしょう。 
 
ですので、この文章を読んで、「しまった。自分の名前で表示しておけばよかった。」と思った方も、あせらなくて大丈夫です。なぜなら、今からでも表記を変えておけばよいからです。あなたが生きている間に、著作物表示を自分の名前に変えて世間に認知してもらえばそれでよいのです。
 
とは言っても、よほど有名なキャラクターやデザインでもないと、自分が著作者であることが世間から忘れられてしまったり、自分が著作者であることを主張する材料を失ってしまうかもしれない、という不安があるでしょう。自分が生きているうちはまだ良いのですが、死後何十年もたったときに権利収入を得るべき承継者が著作権の存在を否定されてしまったら困ったことになるかもしれません。
 
チャプリンの映画の保護期間の訴訟のように、著作権の存否のことで未来の承継者が裁判に巻き込まれる可能性がないとは言えません。そこで、著作権法では「実名の登録」という制度を用意しています。
 
たとえ無名・変名で公表されている著作物であっても、作者が生きている間に実名の登録を文化庁で行っておけば死後起算の適用となります。公的機関の証明で著作者が推定されますから、著作権法の原則に従って死後起算の適用を受けられるのは当然のことと言えます。
ただし、一応手間とコストがかかるわけですから、将来を予想して必要があるときだけ登録すればよいでしょう。
もし外部のクリエイターにキャラクターやデザインの制作を注文し、その後で著作権を譲り受けるような場合であれば、公表の際にクリエイターの実名を表記しておくか、またはクリエイターに実名の登録をしてもらっておくことをご検討ください。(もちろん、50年以上著作権を保持したい場合に限ります)  

◎著作者表示と職務著作の関係
 

次にとりあげておきたいのは「職務著作」との関連です。職務著作とは、法人が従業者に著作物を創作させた場合など一定の要件がそろえば、法人が著作者になるという制度です。
 その一定の要件の中に「その法人等が自己の著作の名義の下に公表する・・・」というものがあります。つまり世間の目に触れる際には法人の名称が<著作者として>表示されていなければ法人が著作者になることはできない、ということです。参考までに以下に条文を抜粋します。  

(職務上作成する著作物の著作者) 第十五条  
法人その他使用者(以下この条において「法人等」という。)の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物(プログラムの著作物を除く。)で、その法人等が自己の著作の名義の下に公表するものの著作者は、その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り、その法人等とする。
2  法人等の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成するプログラムの著作物の著作者は、その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り、その法人等とする。 
 
多くの企業は著作者の権利(著作権だけでなく人格権も含め)の全てを根こそぎ保有したいと考えますので、企業にとってこの規定は非常に重要です。このためキャラクター企業などの多くは自主制作のキャラクターを公表する際に、「(C)」マークとともに会社名を付記することが多いようです。 
これで会社が著作者であることが明示してあるつもりだとは思うのですが、そうであるならば、その著作物の寿命が「50年」になることを覚悟したことにもなります。
 
ただし私がここで自信がないのは、そもそも現在一般的に使用されている(C)などの表記は、はたして「著作者表示」なのだろうか、それとも「著作権者表示」なのか、という点です。
 

もし「designed by」とか「作者」といった文字が見えれば「著作者表示」であるとわかるのですが、(C)という記号は万国著作権条約に由来する表記であって、それ自体は著作者と著作権者の違いを明示するものではありませんから(条約では「authority of the author or other copyright proprietor」と記載されており、著作者または著作権者と読めます)、Cマークは手がかりにならないと思います。つまり、慣用されている著作物表示からは、それが著作者の表記なのか著作権の表記なのかがわかりにくい場合が多いので、職務著作なのかどうかが少なくとも世間一般の眼からは判別しがたいという現実があるかと思います。
 
そうすると我々一般市民としては、ある著作物の保護期間がいつまでなのかがわかりにくくて迷惑だということにもなるでしょう。職務著作の要件の中には企業内部の人間でないと(場合によっては当事者でさえ)わかりにくい要件事実が含まれていますし、職務著作かどうかを世間一般の人々に調査せよ、と言われてもそれは限界というか無理があると思いますから、企業名称が著作者としての意味なのか、著作権者としての意味なのかがはっきりわかるような記載であってほしいと思います。

このように考えてみると、著作者表記というモノは一定の厳密さを要求されるべきものであり、個人の実名が著作者として明示されていない限りは著作権の寿命は公表時起算になる、と解釈してよいとも思います。
 
チャプリン映画の訴訟の場合も、チャプリンが映画を製作したことを示唆する文言が表示されていたことから実名表示として扱われていたもので、もしそのような表記が欠けていれば団体名義の著作物として扱われたと思われます。このように著作物表示というもののあり方には重大な意味が含まれていて、今後問題になってゆく可能性を秘めています。 
 

最後にまとめますと、著作物について何か表記する際にはとくに以下の点に注意していただきたいです。
 

@実名表示の場合と、変名表示や無名の場合とでは著作権保護期間に違いがでます。

Aもし実名を表示するならば、「著作者〜」「制作者〜」「illustrated by〜」「designed by〜」などのように<著作者が誰であるか>がわかる表記が無難でしょう。(C)には実際的な意味が無いばかりか、かえってわかりにくくなるかもしれません。

B著作者が個人で実名表示の場合は第一発行年を表記する法的な意味はありません。(保護期間計算が死後起算なので)

C職務著作にしたい場合には会社名を<著作者として>表記しましょう。(Aと同様)

D無名・変名で公表する場合に、もし著作権を長く保有したいなら実名の登録をしておきましょう。

E他人の著作物を利用する場合には著作物表示の内容について著作者の同意を得ましょう。   

以上
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2007年10月31日

ディズニーランドのパレードの撮影

「著作権の寿命を長くする工夫」のテーマで続きを書く予定でしたが、興味深いニュースを見たので早速取り上げます。
ニュースによれば、ディズニーランドのパレードをビデオカメラで無断で撮影し、その映像をDVDとして複製してネットオークションで販売していたことが著作権法違反にあたるとして千葉県警が4人を逮捕したということです。
パレードやショーをひとつの著作物ととらえて立件するのは珍しい、と県警がコメントしているそうです。

事件がディズニーランドに関することなので著作権問題として脚光を浴びやすいという側面があるうえに、記録媒体に固定されていないパレードというものが著作物として保護されるということをどのように考えるべきか、という意味でも強い関心を持ったので早速書いてみました。

たしかにパレードやショーというものは「思想感情を創作的に表現」していると考えれば著作物にあたりうると思います。著作権法第10条では、「舞踊又は無言劇の著作物」が著作物の種類としてあげられています。
つまり踊りや振り付けなど身体的な表現も著作物にあたりうるということです。
特にディズニーランドのパレードは、音楽はもちろん、イルミネーションや振り付け、衣装などに独特の個性があると見ることができます。これらを企画実施した結果、パレード全体をひとつの著作物とみなすということでしょう。

一般的に著作権侵害というものは、すでに紙やデジタルデータなどに表現が固定された後のものを無断でコピーなどすることが侵害になる場合がほとんどですが、今回のように表現が固定される以前の段階で撮影されたものまで侵害の対象ととらえるケースは確かに珍しいと思います。なお、パレートを撮影し逮捕されたと思われる人は、その記録された映像(これは映画の著作物か)について著作者であり著作権を保有していると思われます。販売目的でパレードを撮影することは撮影技術的に容易なことではないと思います。場所の選定があるし、角度や明るさの調整なども苦労するでしょうから、これが創作行為かどうかと考えると、多分創作にあたるのでしょう。つまりこれは二次的著作物の一種とも言えるかも知れません。

今回のように、固定されていない人間の動きを利用した表現というものについて著作物とみなして保護するということは、考えれば考えるほど迷路に迷い込んでしまい整理するのに時間がかかります。もしかすると、今の私はまだよく理解していないのかもしれません。たとえば、だんじり祭りとか、リオのカーニバルとか、ああいったものがテレビで報道される際には原則として許諾が必要なのでしょうか。
調教された犬や猫はどうか。水族館の魚は。化粧された人間の顔は。パレードとは、ショーとは、一体どうして著作物であって、著作物ではないものとの区別はどこで見るべきでしょうか。
人の無意識の動作ならば著作物にはならないけれど、ある程度の企画性や芸術性があれば著作物になるものでしょうか。
人の身体的活動表現を著作物として保護する場合の保護範囲を真剣に考えると、とてもやっかいな問題に直面しそうです。

テレビのニュースでは「人が一生懸命つくったものを勝手にコピーするなんて・・・」と当然ながらの解説でしたが、今回の事件における著作権法の解釈をマスコミの活動にあてはめて考えたときに、意外と難しいことになるのではないかという予感がしています。
<たまたまディズニーランドが被害者だから逮捕されるのが当然だ>という思い込みが報道側にまったく無いと言えるのかどうか。マスコミの姿勢に「とにかくディズニーランドをひいきにする」という姿勢がないものでしょうか。

たしかに販売目的でパレードを撮影されたらディズニーランドとして迷惑だということはうなづけますし、こういった行為がタダノリ行為の中でも特に悪質な部類にあたることに疑問はありません。
これを著作権法違反だとする考え方も間違っているとは今のところ思いません。
しかし、コピーして販売することだけが侵害行為の類型ではありませんから、テレビ放送することも、場合によっては写真撮影して出版することも範疇に入ってくる可能性があるのではないでしょうか。
ならば町内会の神輿を担いでいる様子を放送したり、甲子園で踊っているチアガールや応援団を放送したりするのはきちんと許諾を得る必要がないのでしょうか。その許諾は誰からどのように得て、収益はどのように分配されればよかったでしょうか。このあたりのことがどうも難しく、一般からの疑問に対して理論的に説明するのに苦労しそうです。

今回の事件では、販売目的で撮影した点において責任を負うのも当然と思いますが、自分たちで楽しむためにパレードを撮影すること自体はなんら問題がないことです。ですから一部のテレビ報道で使われていた「盗撮」という言葉は適切だったのかどうか疑問です。
ディズニーランドのパレードを撮影した映像を持っている人はたくさんいますが、それを私的使用の範囲を超えて利用すると著作権侵害になってしまいます。YOUTUBEでアップすることも侵害にあたると考えられます。
ならばマスコミの活動にも同様にこの解釈があてはめられて当然だということになるでしょう。
被写体となっている一般人の身体的作業が著作物として保護されないものであると確信を持って撮影し利用してくださいね。そういうことになります。
「一般人が対象の場合は勝手に放送し出版してもへっちゃらだけど、相手がディズニーだから許諾をとらないとね」
実態はそういったことかもしれないと勘繰るのは私だけでしょうか。
著作権法を素直にあてはめたらおかしなことになってしまう場面はいくらでもあります。
たとえば会社でインターネットから取り出した情報をプリントアウトした場合には私的使用の範囲に収まらない場合が多いはずです。でも間違いなく今日も日本中の職場で著作物が無断複製されているでしょう。
このブログの文章にしても印刷目的が私的使用だとは限らないでしょう。
つまり著作権法は特定の誰かのために特定の部分だけが利用されることがあるのであって、今回の事件についても、私は単純な違反事件としては割り切れない気分です。

私が知っている世の中の現実においては、「法律違反だから悪い」のではなく「誰かにとって迷惑な存在になることが悪い」のだと思います。これは皮肉と解釈していただいて結構です。法律違反をまったくしていない人はいないし、法律違反をしていなくても責任を取るべき人がいるものです。だから「法律を気にする前に世間を気にしてください」と私はよくお客さんや生徒さんに言います。
ともあれ、この件は今後の成り行きに注目してゆきたいです。

posted by 管理者 at 00:25| 東京 曇り| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月30日

ハローキティの著作権の寿命

8月頃のニュースで、タイの警察が規則違反をする警察官に対して、罰としてハローキティのイラスト入り腕章をつけるよう義務付けて問題になっていました。問題というのはもっぱら著作権のことのようで、さすがに著作権侵害のおそれがあることに気がついてタイ警察は対応を撤回したそうです。

このニュースを見て思ったのは、ハローキティの著作権はいったいいつまでなのかということです。
ウィキペディアを見たところ、1976年頃にはグッズが販売されていたそうです。女性のデザイナーの名前が出ていましたが、この方が著作権法の著作者にあたるのか、それともサンリオが著作者なのかというと、デザイナー個人のクレジットが見当たらないという意味で法人著作ではないかと推察します。
となると、公表時から起算して50年ですから、2027年にはハローキティの著作権が消滅していると考えて差し支えないものと思います。
すると、20年後には少なくとも日本国内ではハローキティを勝手に利用しても著作権侵害にはならないことになります。
ミッキーマウスに比べるとずいぶん寿命が短いようですが、これを理由に日本でも著作権保護期間を延長すべきかと言えば、そうとも限りません。

著作権法では著作権保護期間の計算を原則として死後起算としています。
もしキャラクターの作者名が公表の際に表記されて個人著作として扱われていれば、作者が死亡してから50年間という原則にのっとって計算しますから、ハローキティの寿命はあと何十年か延びる可能性が高いと考えてよいでしょう。(但しデザイナーさんの寿命によります)
しかしキャラクター企業の多くは(そうでない会社をまだ知りません)自社を著作者にして権利の全てを原始的に保持するのが当然と考えているようです。
権利の寿命を長くするチャンスがあるにもかかわらず、そのチャンスをあえて捨てた結果、著作権の寿命が50年になっているのです。

現行法での保護期間制度が充分活用されず、認識もされていないのに、保護期間延長賛成の声が世論の大勢を占めているとは思えません。
延長の声はクリエイターの中でもほんの一部の声に過ぎません。
延長を持ち出す前に、保護期間制度を充分活用することを考えるべきだと思うのです。
(次回につづきます)
posted by 管理者 at 10:41| 東京 晴れ| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月31日

チャプリン映画の著作権保護期間

チャプリンの映画の著作権保護期間

8月29日、東京地裁でチャプリンの映画の著作権保護期間について争った裁判の判決がありました。
チャプリンの映画の保護期間がすでに消滅していると解釈した事業者が、無許諾で格安DVDを販売していたところ、当該映画の著作権を持つ外国法人から損害賠償等を求められた事例でした。
争点のひとつに、チャプリンの映画の保護期間計算時点を公表後とするか、チャプリンの死後とするかという問題がありました。

映画「ライムライト」の場合、公開されたのが1952年で、チャプリンが亡くなったのが1977年です。
昭和45年に著作権法が改正される前に施行されていた旧著作権法によると、第6条では団体名義で発行された著作物の著作権は発行のときから30年間継続する旨が定められています。
とすると、映画が公開されてから30年後である1983年までとなり、さらに1970年施行法で50年の適用を受けるので2003年には著作権が消滅していることになります。
ところが映画の公表の際のクレジット表示では、「Written and Directed by CHARLS CHAPLIN 」などのようにチャプリンが映画を制作したと見える記載があるということで、著作権者側(原告)は団体名義での公表を否定し、著作者であるチャプリンの死後から保護期間を計算することを主張しました。
もし死後で計算するのであれば現行著作権法の規定を適用でき、戦時加算を無視しても2022年まで権利が存続することになります。

判決では、クレジット表記が団体名義での発行ではないことを示しており、チャプリン個人による著作であることから死後起算の適用が受けられるので著作権がまだ消滅していない旨を結論付けました。

この事例は著作権保護期間の判断がいかに難しいかを示しています。
公表時のクレジットを明記していてもこのように裁判上の争いになりえます。
現在公表されている著作物のかなりの部分が、このように著作者表記があいまいであるし、著作権についての表示があっても著作者の氏名が表記されていないことがほとんどです。
著作者が誰であるのかが著作権者でさえ知らないということは珍しくありません。
著作者が誰であるのかが証明できないと公表時で起算するしかありません。

このように著作者表示をめぐってのトラブルが今後は増えてゆくと思われますが、判決ではこのように述べています。
「被告らは、パブリックドメインとなった映画の複製、頒布を業として行っていることが認められるが、このような事業を行う者としては、自らが取り扱う映画の著作権の存続期間が満了したものであるかについて、充分調査する義務を負っていると解するのが相当である」
実際に事業者側がどの程度の調査をしていたのかわかりませんが、50年以上前の公表時のクレジットを調査していれば団体名義でないことがわかったはずだということです。
さらに判決では、団体名義で公表された著作物が公表時起算なのは、誰が著作者なのかが特定できなければ死後起算できないからだという意味のことを語られています。
今回の判決ではチャプリンのクレジットが明らかだったので、利用者側が調査義務を怠ったことを問題にしていますが、もし表記があいまいだったなら公表時起算が採用されて、DVD販売は合法と判断されたのではないかと推測します。

いずれにせよ表記の仕方次第で保護期間に何十年もの違いが出てきてしまったということです。

このような事情は現行法でも変りません。
たとえばあるキャラクター法人が創作し商業利用した場合に、それを職務上創作した社員の名前をクレジットとして表示することはないでしょう。しかしその場合の保護期間は公表時から起算されます。
もし社員の名前で公表しておけば死後起算になります。とはいえ商品として流通させる際に社員名のクレジットはやはり難しいでしょうから、一度さしさわりの無い方法で社員名クレジットを表記して公表し、その証拠を保存した上で商品として流通させるという方法が思いつきます。ほかにもいくつか工夫の方法があります。
職務著作の要件としては最初の公表のクレジットが法人名義であることが要求されているのですから、それをあえて社員名義にしてしまえば法人著作ではなくなり、死後起算での保護が可能となります。
就業規則で職務著作にならないようにすることも可能ですが、全ての著作物について職務著作をあらかじめ否定することは無謀ともいえます。
この場合には、文化庁の登録制度を活用することができます。
ただし、著作者である社員から一切の権利の譲渡を受けた証拠をいちいち保存しておかなければなりません。
今後は保護期間の起算方法でもめることが多くなりはずです。
企業の権利保護の手段として著作権登録の必要性が認識されてくるでしょう。

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2007年08月20日

著作権保護期間延長に関連して思うこと

◎死後起算の問題点

現在、日本における著作権の寿命は、著作者が死亡してから50年が経過したときまでということになっています。(正確には死亡の翌年の1月1日から) ただし、法人が著作者である場合と、無名・変名で公表された著作物については公表されたときから50年、映画の著作物については公表されたときから70年経過するまで著作権が存続します。
最近は保護期間延長の是非が議論されていて、私の現在の考えでは延長には反対なのですが、なぜかといえば現行の50年間でさえ大きな問題があると思うからです。

著作物の利用許諾を得る際に、すでに作者が死亡していた場合には、その作者の著作権を相続によって承継した人から許諾を得ることになります。
商業価値が高い著作物については、相続の際に著作物が相続財産として扱われ、適切に承継されているものと予想しますが、この世に存在する著作物のうちで商業的価値があるものは極めて少なく、相続人が著作権を財産としてきちんと処分している割合は極めて少ないはずです。一生の間に著作物を一つも創っていない人は珍しいのに、相続の際に著作権が遺産分割の対象として認識されているケースも珍しいのです。

利用許諾を得ようとする人にとっては、誰が現在の著作権者であるかを知るための公的な登録制度がない以上、関係者を発見して事情を聞き、誰が著作権者であるかを突き止めるしか方法がありません。そこで、著作者の子孫に事情を聞いたとして、明確な回答が出てくる可能性がどの程度かと言えば、有名な作家であればともかく、あまり名の知られていない著作者の場合では、その子孫自身がよくわからない、という場合が圧倒的に多いでしょう。50年前に死亡した祖先の作品の著作権の存在を把握し、その著作権がその後特定の誰かに継承されたのか、それとも相続持分に応じて共有持分のまま承継されたのか、そういったことは、もう50年も経ってしまえば記憶や手がかりが残っていないでしょう。こういうことは例外的なケースではなく、むしろ一般的なことなのだという点が重要です。子孫でさえわからないことを第三者がどうやって確認することができるでしょうか。

 著作権の存在を意識されないまま著作権が承継されているのだと仮定すると、著作者の子孫全員から許諾を得ることになります。相続人全員の連絡先を突き止め、血縁関係を確認するために戸籍関係書類を取り寄せるためには当該関係者の承諾が必要です。ほかに相続人がいないことを確定するためには、生殖能力がありうる年代までさかのぼって全ての戸籍を調査しなければなりません。つい先日死亡した人の相続人を特定するたけでも、実務上は大変面倒な作業になりますが、50年も前に死亡した人の場合、関係する戸籍の全てが残っているかどうかさえ不安です。なにしろ、戸籍法施行規則によれば通常の戸籍の場合、除籍になった(対象となる人が死亡または転籍したときなど)ときから80年までが戸籍の保存期間ですから、50年前に60歳で亡くなった方の30歳当時の戸籍は廃棄されている可能性があります。

このように、著作権の相続がきちんと処理されていない場合には、許諾を得ることは大変なコストがかかるか、現実には不可能な場合が多いのです。しかも、仮に適正に権利が承継されていても、その承継が本当に事実なのかどうか、ウソではないのかどうかを、第三者は最終的に確信を持つことができません。
著作物には不動産のように登記を義務付ける制度が無く、権利の譲渡の登録は任意であって、しかも相続に際しての譲渡の登録制度には第三者対抗要件が無いため現実にはほとんど利用されていません。
それでも許諾なく利用すれば著作権法違反であり処罰対象となります。

もう100年も前の作品だから大丈夫、とはゆかないのです。でも、もし100年前に創作された作品を利用したいのだとして、その著作権者を探し出すことができるでしょうか。もし著作権が消滅しているだろうと予想したとしても、著作者がいつ死んだのかをどうやって調べたらよいでしょうか。世界の長者番付を見て、その年齢以上は生きていないはずだ、と考えられる場合しか確証は得られません。
個人情報が保護されている今日で、第三者が他人の、しかも半世紀前の時代の死亡の事実について確証を得ることができるでしょうか。
ほとんどのケースでは無理です。無理ならば使えないということです。おそらくもう権利は消滅していると思うけれど、100%とは言い切れないので使用できない。そしていつから使用できるのかもはっきりしないのです。
これが文化の発展を目指した制度として、いかに不備であるかはおわかりでしょう。
著作権制度は、著作物の利用を禁止することが目的ではなく、適正に利用されることを目的としていますが、現実には将来、商業的価値の薄いほとんどの著作物が利用できなくなってしまうのです。
著作権の寿命が50年の場合でさえそのような状況なのに、さらに70年に延長するという意見が出ています。これは商業価値の高い作品だけを念頭に置いていて、一般市民が多様な著作物を安心して利用したり、許諾を得たりすることを無視しての発想です。

私が著作権について解説していて思うことは、どんなささいなコピーであっても著作権法に抵触すれば犯罪なのです、ということを言わなければならないことについて非常に抵抗があって、正直なところ、ささいなコピーくらいいいではないか、常識の範囲というものが法律とは別にあるはずではないか、ということを言いたくもなるのですが、こういったことは現状では怖くもあり言いづらいものです。
文化庁あたりでは産業方面にばかり関心が向いていますから、法律どおりの解釈で全て事が行くという態度を押し通していて、著作権法は交通ルールみたいなものだと単純に割り切っているような気配を感じますが、実際には合法と違法のあいまいなところで著作物利用が意味も無く断念されてしまう部分が無数にあります。
それでも「犯罪だからダメ」という程度で済ませてしまうところがとても残念なことです。

あくまでダメというならば、もう少しましな工夫をしていただきたいと思います。
私としては、死後起算という方法がすでに時代遅れであろうと思います。 ベルヌ条約で定められたこの計算方法は、著作物の種類も量も現代とは比べ物にならないほど少ない時代において決められたことですが、現代のように普通の人が気軽に著作物を創作し、公表できる時代においては、無駄が大きく合理性に欠けると思います。
もし全ての著作物を公表時起算にするのなら、保護期間が延長されてもよいと思います。
なぜなら公表時ならば後世の人々にとってもおおよその検討がつけられるからです。
かといって、今更死後起算を撤廃することも難しいです。
ですので、もし仮に保護期間延長がどうしてもやむをえないのであれば、死後起算をもって保護を受けたい著作者はその旨を公的機関に登録し、死亡した際には遺族等の申請によって死亡時期が公示される仕組みを検討していただきたいと思います。
著作者自らが自分の作品の保護期間を明らかにする義務を負わせなければ、100年どころかそれ以上の期間にわたって著作物が利用できなくなってしまいます。

つまり、自らの権利を積極的に保護したい人には、必要な情報を自分の意思と負担で公示する義務があってよく、そのような公示がない限りは公表時起算で計算すればよい、ということになれば、調査コストや無意味な利用制限がある程度抑止できるとおもいます。

要するに保護期間を確認するための登録制度を文化庁で設定していただきたいということです。
自分には権利があるのだといいながら、「ではいつ権利が消えますか?」と尋ねたら「知らない」と答える。そういう企業が現実にあります。権利は主張するけれど、損になることはやらない。権利消滅時期をうやむやにしてしまう。そういうずるい人間の後押しをしている一面を、現行著作権制度は持っています。
こういった不公平な部分は早急に改善すべきですが、そういう工夫をせずに、さらに保護期間を延長するということならば非常に残念でなりません。私は絶対に反対です。


 

posted by 管理者 at 19:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月02日

JTB関連会社の社員らが著作権侵害の容疑で書類送検された事件について

概要は次のとおり
・昨年1−7月にJTBが発行した旅行パンフレットに、写真貸し出し業「アイ・フォトス」(東京都新宿区)の許諾を得ずに、伊豆諸島や十和田湖や陸中海岸などの観光地の写真計3枚を掲載し著作権を侵害した疑いで、昨年12月には本社などに対し警察の家宅捜索が行われた。


・警視庁生活経済課は7月30日、JTB子会社の「JTB印刷営業課長ら2人と「ジェイ・アイ・シー」北陸支店長ら2人の計4人を書類送検したが、JTB本体の関与はなかったと判断した。


・JTBは一昨年8月、同事務所との写真使用契約を解除し2社にも伝えたが、2社の担当者は、経費削減のため、一度パンフレットに掲載した写真を記録媒体に保存して再利用していた。


・担当者は「印刷されたパンフレットの確認作業で無断掲載に気づいたが、納品日が迫っていたので写真の差し替えはできなかった」旨を供述している。

・JTBでは「書類送検という事実を真摯に受け止め、今後の司法の判断についても重く受け止めて参ります」とコメントを発表。再発防止のための、著作権遵守に向けた取り組みを強化している。

・JTBは今年1月には暫定的に、著作権等遵守委員会を立ち上げ、同年度中にはグループ内で共有する写真画像を一元管理するウェブサイトを開設。さらに4月には、著作権検査のほか、法務や広報部門を含めた「コーポレートコミュニケーション部」を立ち上げた。

と、このような情報がでています。


大手企業が著作権侵害で民事訴訟に発展するのは別に珍しいことではありませんが、刑事訴追されるのは非常に珍しい画期的なことだと思います。
このケースでは、著作物の利用許諾契約が解除されたあとで相変わらず使用していたということらしく、海賊版CDを売ったりするのとは少し次元が異なります。
警察沙汰になった著作権侵害事件で、「契約」の内容に踏み込んだケースがあったかというと記憶がありません。
通常は、最初からタダノリして荒稼ぎするつもりで無断コピーをしてしまうケースばかりです。
契約解除後の無断使用というのは、ちょっとした油断や甘えによってどこの企業で起こってしまいそうな事件だと思うのです。
こういったケースで警察が動くというのはかなり新鮮なニュースですが、これも時代の流れとしてやむをえないとは思うものの、警察の対応が変ったみるべきなのかどうか。
最近になって警察の銃器麻薬関連部署が生活安全部門から組織犯罪対策部門に振りかえられて手が空いた分が知財の摘発にまわったということもありえます。
大手企業だという傲慢さから、一度許諾を得たから後で好きに使ってしまおう、という対応に流れてしまうケースは現実には多いと思いますから、このような大企業の対応に煮え湯を飲まされているクリエイターの方々には朗報かもしれません。
JTB本社に追求が及ばなかった事情はよくわかりませんが、契約違反でも刑事訴追が現実にありうるということですから、今後どのような状況になってゆくものか注目してゆきたいです。

posted by 管理者 at 12:33| 東京 曇り| Comment(1) | TrackBack(14) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月24日

楽譜のコピーと学校の著作権指導

今、楽譜のコピーについて考えています
もうすぐ、ある教育委員会で著作権についての講演をする予定なのですが、学校の先生に向けて話す課題としてどのような内容にするか非常に悩んでいます。

現在、著作権に関する指導を実施する学校が増えていて、そのための教材も充実してきていますが、果たしてこのままでよいのかどうか疑問なのです。


著作権指導となると、どうしても著作権法を理解させることになりがちです。
ところが法律に注意を向けてしまうと、難しい法律解釈に突き当たり、生徒達に教えられないという結論に行き着きます。
ではモラル重視でゆこうとすると、「ならば学校はモラルに従って判断しているのか」という疑問にさらされるおそれがあります。
たとえば楽譜の問題がそれです。

楽譜の著作権者は作詞家と作曲家です。
合唱や演奏のために関係者に配布するための楽譜をコピーする際には、著作権者から許諾を取らなければなりません。
学校の授業として使用するのならOKという考え方が一般的ではありますが、これに関する著作権法35条をみると、

第三十五条  学校その他教育機関(営利を目的として設置されているものを除く。)において教育を担任する者及び授業を受ける者は、その授業の過程における使用に供することを目的とする場合には、必要と認められる限度において、公表された著作物を複製することができる。ただし、当該著作物の種類及び用途並びにその複製の部数及び態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。

問題は後半の但し書きです。
「当該著作物の種類及び用途並びにその複製の部数及び態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。」
 

つまり、授業目的なら無許諾でコピーしてよいとは言い切れないのです。
JASRACの考え方では、1冊1曲で販売されている場合はコピーしてはならないのだ、ということのようです。
私もそうあるべきと思います。
しかし、1冊に10曲のせてあって、そのうちの1曲だけをコピーするのならOKだということのようです。
今の私の考えでは、この部分においてJASRACと異なります。

楽譜1冊に10曲が掲載されていたとして、その10曲全部を使用することは現実に少なく、通常は1曲か、せいぜい2,3曲だろうと思います。
つまり楽譜は最初から前頁が使用される想定では売られていないのです。しかし印刷コストを考えると1冊10曲にした方がニーズに合いやすいのでそうしたまでだと思われますから、1曲だけだからコピーOKということにはならないと考えます。

著作権法35条のことだけでも、このとおり深い問題を秘めていて、「ルールを守りましょう」というスローガンではとても済まされないテーマなのですが、もっと難しいのは楽譜出版社の立場です。

楽譜出版社はメロディを創作しているわけではないという意味で、「著作者ではない」という認識が一般的です。
そうなると楽譜出版社に対しては、楽譜のコピーの際には許諾をとる必要性として著作権法は関係ないという事になります。
ですから実際のところ著作権者に対してはもちろん、楽譜出版社に対する遠慮をしている学校というのはほとんどないのだと想像します。

(これについては情報を募集しています。私がたずねた範囲では無許諾コピーがほとんどです。)
もしそうなら、著作権法で保護されていないのだから、楽譜出版社に無断でコピーしてもよいのだ、という考え方で学校は判断しているという事になりましょう。
そこがモラル教育と矛盾する部分です。

楽譜は値段が高いと言われていますが、値段が高い理由の一つしてコピーがあります。
誰かが1冊だけ購入してそれをコピーするのだから売上はのびません。
出版部数が少なければ当然印刷単価が高くなるのは当然です。
こうなると出版社は売れ筋の楽譜を複数束にして高額で販売することになります。
出版業界の苦しい事情については日本楽譜出版協会の方などから聞きました。
普通の書籍と楽譜とは事情が異なるのですが、法律的には同じ扱いを受けているのです。
しかもこの場合、誰が一番損をしているかというと、それは本を購入した人、ということになります。
この世の中は、「公正」を重んじる世の中のはずですから、けなげに本を買った人が一番を損をするという状態は良くないことであり、適正な状況に是正しなければならないはずです。
つまりモラルとして考えた場合、市販の楽譜をコピーしてはならないと私は思います。


ところが著作権指導を実施している学校の中で、楽譜を一切コピーしていないと胸を張って主張できる学校が割合としてどの程度存在しているのでしょうか。
ここで学校としては「法律主義」でゆくのか「モラル」でゆくのか、選択を迫られることになります。
法律主義でゆくなら、法律だけでは足りないので判例や学説もくまなく調べ、これらのことを生徒に徹底させることになりますが、それが果たして学校教育で必要なこと、実施可能なことなのでしょうか。
また「モラル主義」でゆくのなら、学校は実際にモラルで判断するという前提を持たなければなりません。

このような問題を棚上げにしたまま著作権指導が行われているなら、これはそのうち問題が生じると危惧しています。

私は選択肢はひとつだと思います。
法律に執着するよりも、モラルとして判断し、その判断を堂々と主張し実践することです。
法律理論を並べ立てることよりも、人を納得させることができる説得力、さらには日頃の行い(信用)を積んで、社会全体の納得を得るようにするしかないのです。

著作権指導が文部科学省の主導で行われることが多いので、どうしても法律主義に傾く傾向があります。
行政は何事も「法律どおり」で考えるのが宿命ですが、教育はまた別の次元の世界ですから、学校が行政の発想に流されてはなりません。
教育者は教育を何よりも優先すべきであって、公務員としての立場は二の次にしてもらわないと世間の納得は得られません。
そういう話を私がしてしまったときに、果たして通用するのか、誤解されるのではないか。
それが私の心配の種なのです。

posted by 管理者 at 19:11| 東京 晴れ| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月18日

インド式計算ドリル というタイトル

 「インド式計算ドリル」という本を出版した晋遊舎が、「頭が良くなるインド式計算ドリル」というタイトルの本を出版したKKベストセラーズに抗議書を送ったという記事をみました。

 タイトルや表紙が似ているかどうか。実際に見てみるとイラストデザインは全く別の表現ですが、タイトル部分は同じですし、文字の表現仕方も同様にインド文字をイメージさせる表現を取り入れています。

購入者の誤解を生じさせるというのはうなづけますが、著作権侵害となると、対象となる部分が「著作物かどうか」が問題となり、次にそのパクリが著作権侵害に該当するパクリかどうか、という順で考えるわけです。

 結論としては、本の表紙だけに関して考えると著作権侵害とは言いがたいと思います。
「インド式計算ドリル」というタイトルは、その本の中身を単純に説明している語句で、この手法の計算方法を取り入れた計算ドリルを広告宣伝する際には回避しにくい表現でしょう。
こういうタイトルを特定の会社が独占できてしまうと弊害が生じる恐れがあります。

 この分野の書籍で先鞭をつけた出版社にとってみれば、このような出版方法は出版界の常識として許されないと思うのは無理もありませんが、不正競争防止法や一般不法行為としてみたとしても、法的には主張がとおりにくいような気がします。しかし、本の中身も見ていないし、微妙な部分もあるので、この件の全般についてはなんとも言えません。(私はもともとあいまいにしがちですが・・・)

 世間の感情としては、これはパクリすぎだということで不愉快に感じるかもしれませんが、もし裁判になったら、少なくともタイトルの部分に関しては裁判所は権利侵害としては認めないだろうと思います。
かといって恥を知らないパクリ商売が横行されても困ります。もちろん今回のケースが恥知らずだというわけではなく、こういう微妙なケースで判決が出たニュースを見て、かたよった解釈をする人が現れることが問題です。

 この程度のパクリならまだ大丈夫だとか、逆に、この程度でも法律違反なのか、とかいった極端な反応が怖いのであって、ケースバイケースで冷静に見つめる目が多くなればよいことだと思っています。
世間がどのような反応を示すのかが興味深いところです。
 

posted by 管理者 at 17:52| 東京 曇り| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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